チューリング不完全

What are you afraid of? All you have to do is try.

登る、振り返る

ふと思い立ってたまには日記を書いてみようと思った。
しかしいきなりだが「日記」とはなんだろう。年に1,2回しか書かれない、継続的に書かれていないものを日記として良いのだろうか。しかしもし「年記」とか「期記」とした場合、その間の事柄を振り返って書かなければいけないではないか。そんなエネルギーが必要そうなことは今したくないし、恐らく努めて毎日書くことになったときと比べて内容・分量は対して変わらないのでやはり日記である。


なぜ急に書き始めたかというと、今読んでいる筒井康隆「日日不穏」という日記を文庫本にしたものがえらく面白いからである。先日ブックオフの100円棚に恐らく既に絶版になってしまった筒井康隆本がいくつも置いてあり、全部買ってほくほく顔で帰って来たのだ。本来ならば書店で定価で買わなければいけないと思うのだが、絶版であるからして致し方ない、致し方ない。
作家の日記を読むと口調が移り、また文章の運びのリズムがわかるので自分でも何か書いてみたいという気持ちにさせるのだけど、あいにく私のような平々凡々とした人間は著名人のようなコンテンツ性を持ち合わせていない。別に日常生活でポンポンと普通の人が知っていそうな人が出てきてお話をした、などということもない。作家の日記が面白いのは、日記の中にその作家が出版した本の執筆状況だとか、世間的によく知られている有名人と対談しただとか、読む側が知っている情報が出てくるからこそ面白く読めるのだと思う。いや、もちろん文章力が根底にあることはもちろんであるけれど。
そういうわけで、この文章は筒井康隆の日記に触発されて生み出されたものであるけれども、口調はごくごく薄いshallow copyであり、校正も全くしていないのでどうしようもない代物である。


いい加減自分のことを書こう。
先月とある団体でシリコンバレーにいかせてもらって、有名ベンチャーの方と話をさせてもらうという機会があって滅法楽しかったのだけど、帰ってきてレポートを書くのにえらく難儀した。シリコンバレーに行ってきた、などというレポート記事は巷に溢れているだろうし、変に考察を加えると余計なことまで書いてしまいかねない。たしかにシリコンバレーに行きはしたが、たかだか4日ほど滞在しただけなのだ。シリコンバレーはたくさんの人間が住む実際の土地であり、秘境でも何でもない。未開の地に訪れた探検家であれば考察含めどんどん書けばいいと思うが、シリコンバレー初心者が変に浅い考えを露呈させて斧を投げつけられるのは考えただけで面倒だ。
上記のような葛藤があったあげく、自分が知る限りの日本での環境とシリコンバレーで聞いた環境の違いにフォーカスし、素直に感じたことを書いておいた。どこから怒られるかとびくびくしながら公開したが、今のところdis方面の感想はほとんど聞こえてこない。単純に読まれていないだけである。
「自分が知る限りの日本での環境」というのは、自分ではかなり危うく感じている部分である。ブログ記事やTwitterなどで炎上する原因の1つに「主語の拡大」というのがある。「自分が」という書き出しであれば個人の感想に留まるところであるのに、「我々は」とか主語の指す範囲が大きくなると、そうではない意見の人たちとしては反論せざるを得ないという状況になってしまう。個人の人間が交流する範囲などたかが知れていて、そこで生み出される常識はもっと広く見れば恐らく偏見なのだろう。しかしこの点にまで悩んでいたのではいつまで経ってもレポートが書けない、というわけである程度無視して公開した。気にしすぎか?つくづく文筆業に身を置いていなくてよかったと思う。
たぶん私のTwitterなど掘っていけばシリコンバレーの記事が見つかるので、暇な人はどうぞ探してみてください。


上記のシリコンバレーの記事にしても、自分で書いたプログラムにしてもそうなのだけど、自分で書いたもの、作ったものをよく見返してしまう。自分で書いたのだからもちろん見返さなくても全部わかっているのについやってしまって、その度にもしかして自分は悦に入っているのかな、と考えて恥ずかしくなる。登山で言えば歩いてきた道程を振り返って「いやあずいぶん遠くまで来たなあ」と行ってばかりでちっとも前に進まないダメ人間である。だからこそ締切というものがこの世には存在していて、背中を押されることでやっとこさ頂上に登ることができる。しかし押されれば押されたで今度はその押され方に不満を抱くようになってしまい、なんとも勝手なもんである。
適度に押されつつ、適度に振り返りつつ、平和に生きていきたいものだなあと思った。

日日不穏 (中公文庫)

日日不穏 (中公文庫)