チューリング不完全

What are you afraid of? All you have to do is try.

インフラエンジニアがプレイするべきゲーム「Papers, Please」

プレイしたゲームがあまりにも自分の仕事内容を思い起こさせるものだったのでご紹介します。
(実はゲームをプレイしてこういう記事を書こうかな、と思ってから1年位経ってる)


今回ご紹介するのは「Papers, Please」というゲームで、Steamで980円で購入することができます。(ただし年に数回あるセールのときは80%OFFとかで買えるので、そっちを狙うのがオススメ)

2015/02/03 追記

iPadでもプレイできるらしい。


Steamにあるゲーム紹介の文章を以下に貼ります。

おめでとう。
10月度勤労抽選により貴方を入国審査官に命ずる。
即座配属のため、至急グレスティン国境検問所の入国管理省に赴くように。
貴方とその家族には、東グレスティンの8等級の住居が割り当てられる。
アルストツカに栄光あれ。


ここは、共産主義国アルストツカ。隣国コレチアとの6年間の戦争がついに終わり、国境の町グレスティンの半分を正当に取り戻し、晴れて国交を再開することに。あなたの仕事は入国審査官としてアルストツカへの入国者を審査することです。仕事を探している移民や観光客の中に潜む密輸業者、スパイ、テロリストたちを見極める必要があります。入国希望者のパスポートをはじめとする数々の書類をもとに、入国を認めるか、拒否するかを判断しなければなりません。

説明文にある通り、このゲームでは国境に来る人が提出してくる書類を見て、全てが正しいかどうかを判定するわけです。
これをIT業界ではフローチャートと言います。
端的に言ってしまえば、人間フローチャートをするゲームなのです。


以下では、ゲームの中でどのようなことをやらされるのかを見て行きたいと思います。

ゲームの流れ

ゲームは1日単位で区切られており、日の始まりにルールが通達されます。
1日のうちに何人の人間をチェックしたかで給料が決まります(歩合制)。ただし、書類に不備がある人の入国を認めてしまう、また逆に不備がないのに拒否してしまった場合は当然ペナルティとなります。
この基本ルールに加えて、入国希望者とのいろいろなやりとりによるストーリーがあってそれが面白いのですが、そういう要素については全部割愛。

1日目

[規則]

  • 入国者はパスポートが必須
  • 入国はアルストツカ国民のみ

1日目はチュートリアルですから、提出されたパスポートがアルストツカのものであるかどうかだけを確認すればOKです。

2日目

[規則]

  • 入国者はパスポートが必須
  • 全ての書類は期限内でなければならない


1日目の「アルストツカ国民のみ」という制限が外れ、正規パスポートを所持していれば外国民でも通れるようになりました。
さて、パスポートには顔写真、氏名、生年月日、性別、パスポート発行地域、有効期限、パスポート番号、と情報満載です。これらを分解すると以下の様な確認事項があります。

[確認項目]

  • 顔写真が本人か
  • 性別が正しいか
  • パスポート発行地域が正しいか
  • 有効期限内であるか

3日目

[規則]

  • 入国者はパスポートが必須
  • 全ての書類は期限内でなければならない
  • 外国人は入国券が必須


2日目のルールに「入国券」が加わりました。
入国券には有効期日のみが書いてあります。このぐらいのルール追加ならまだまだ余裕ですね。

[確認項目]

  • 顔写真が本人か
  • 性別が正しいか
  • パスポート発行地域が正しいか
  • 有効期限内であるか
  • 外国人(アルストツカ人以外)は入国券を持っているか
  • 入国券の有効日が正しいか

4日目

[規則]

  • 入国者はパスポートが必須
  • 全ての書類は期限内でなければならない
  • アルストツカ国民はIDカード必携
  • 外国人は入国許可証が必須



さて、ここで登場する「IDカード」と「入国許可証」が確認項目を一気に増やすことになります。
特にIDカードに記載されている身長/体重はよく見逃してしまう危険項目です。(身長は人物後ろの高さの線、体重は画面下部に表示されている)
また、入国希望者に対する質問との照合も必要になります。

[確認項目]

  • 共通
    • パスポートの顔写真が本人か
    • パスポートの性別が正しいか
    • パスポート発行地域が正しいか
    • パスポートが有効期限内であるか
  • アルストツカ人
    • IDカードに記載された地区がアルストツカの行政区画として正しいか
    • IDカードの顔写真が本人か
    • パスポートとIDカードに記載された生年月日が一致しているか
    • IDカードの身長が正しいか
    • IDカードの体重が正しいか
  • 外国人
    • 入国許可証の印が正しいか
    • パスポートと入国許可証に記載された氏名が一致しているか
    • パスポートと入国許可証に記載されたパスポート番号が一致しているか
    • 入国許可証に記載された入国目的と発言した入国目的が一致しているか
    • 入国許可証に記載された滞在期間と発言した滞在期間が一致しているか
    • 入国許可証の入国期限が期限内か

と、このように毎日ルールがどんどん増えていきます。
アルストツカは他国と戦争状態にあり情勢が不安定ですから、日々刻々とやることが変わってしまうわけです。
また、例えばテロが起こったりするとそのような人物を入国させてはいけないということになりますから、書類とか確認項目が山盛りになっていってしまいます。

それでは一気に飛んで、15日目の確認項目を見てみましょう。

15日目

[規則]

  • 入国者はパスポートが必須
  • 全ての書類は期限内でなければならない
  • アルストツカ国民はIDカード必携
  • 外国人は入国許可証が必須
  • 労働者は労働許可証が必須
  • 武器、密輸品を持ち込ませるな
  • 外交官は特権証明が必須
  • 外国人は身分証明補足書が必須




書類が目に見えて増えているのがお分かりいただけると思います。
規則に加えて指名手配犯の顔写真リストが渡されており、それも確認しなければいけません。
さらに、不正を見つけたらそれを指摘してつっこみを入れる必要があるのですが、つっこみを入れると入国希望者の指紋を採取します。その際、指紋データとの照合も必要になります。
では、分解してみましょう。

[確認項目]

  • 共通
    • パスポートの顔写真が本人か
    • パスポートの性別が正しいか
    • パスポート発行地域が正しいか
    • パスポートが有効期限内であるか
    • 指名手配犯の顔写真リストに含まれていないか
  • アルストツカ人
    • IDカードに記載された地区がアルストツカの行政区画として正しいか
    • IDカードの顔写真が本人か
    • パスポートとIDカードに記載された生年月日が一致しているか
    • IDカードの身長が正しいか
    • IDカードの体重が正しいか
  • 外国人
    • 入国許可証の印が正しいか
    • パスポートと入国許可証に記載された氏名が一致しているか
    • パスポートと入国許可証に記載されたパスポート番号が一致しているか
    • 入国許可証に記載された入国目的と発言した入国目的が一致しているか
    • 入国許可証に記載された滞在期間と発言した滞在期間が一致しているか
    • 入国許可証の入国期限が期限内か
    • 身分証明補足書の身長が正しいか
    • 身分証明補足書の体重が正しいか
    • 身分証明補足書の特徴が矛盾していないか (例えば「視力良好」なのにメガネをしている、など)
    • 身分証明補足書の期日が期限内か
  • 外交目的の入国の場合
    • 外交特権証明書の印が正しいか
    • パスポートと外交特権証明書に記載された氏名が一致しているか
    • パスポートと外交特権証明書に記載されたパスポート番号が一致しているか
    • 外交特権証明書に記載された入国許可リストにアルストツカが含まれているか
  • 指紋を採取した場合
    • 入管省ID記録の氏名(もしくは別名)とパスポートの氏名が一致しているか
    • 入管省ID記録の指紋と採取した指紋が一致しているか

これでもまだ書き出しきれてないはずです。やばさが伝わるでしょうか。
この段階に来ると、日が変わって新たな条件が与えられた時点で「アッ、もう無理」と悟ってしまいます。


(既にだいぶネタバレを書いてしまっていますが、)ゲームの紹介はこのぐらいにしておきます。

なぜこのゲームをインフラエンジニアに薦めるのか?

このゲームは「人は必ず間違いを犯す」ということを実にわかりやすく痛感させてくれるからです。
システムの構築、設定の変更、障害時の対処・・・運用で起こる様々なイベント、あなたの会社では自動化されているでしょうか。それともWordやExcelWikiなどで管理された手順書を元に人が行なっているでしょうか。
全てが自動化されており、ルーチンワークなどないという環境にある方はおめでとうございます。しかしそうでない環境で働いている人がまだまだ大半だと思います。
できればエンジニアの人達には常に「これを手作業でやるのは無駄だから自動化を検討しよう」という意識でいて欲しいのですが、中にはフローチャート通りに間違いなくこなすことに非常に長けている人というのがいます。
もしフローチャートに沿った手順をこなすのを得意としていて「自分は間違ったことがない、だから大丈夫」だと思っているエンジニアがいたら、一刻も早くこのゲームをプレイしてください。そして早くミスをしてください。
別にフローチャートが得意でなくても、運用事故を起こしたことがない人にはおすすめします。他人からいくら言われても、やはり自分で実際に体感しなければわかりませんからね。


ゲーム内でどんどん事故を起こして、仕事では事故を起こさない仕組みづくりを心がけたいものです。

VimConf 2014への参加とコミュニティの関係性について思ったこと

VimConf 2014に参加してきました。

今回の会場はmixiさん。

最後の方はピザを取りにいくお手伝いをしていたために全ての発表を聞くことはできませんでしたが、ほとんどについては拝聴して楽しませて頂きました。以下、特に気になった発表について書きます。

気になった発表と感想

Identity of the Vim / @kaoriya

VimVimたらしめているものは一体なんなのか、アイデンティティについてのお話でした。今回の資料ははVimというものの立ち位置を説明する際に立ち返ることになるものになりそうです。
人から「なんでVimなの?」「なんで○○使わないの?」と言われた時に、自分の中で確固とした理由・意見を持つことは、今後Vimに本当にcommitしていく価値が本当にあるのかどうかを見つめるという意味で非常に重要なことです。

PM2 / @ujm

ProcessManager及びPM2ライブラリの紹介でした。
でもCiv5の話が強烈すぎてPM2の方をあまり覚えてない。終始笑いまくっていた気がする。

auto closing parenthesis / @c0hama

カッコを自動で閉じようという話。
私はこの発表をきいて、「ああ、俺自動補完あまり好きじゃないんだなあ」と思いました。
(|)のときに)を入力すると()|になるのにいつもイライラしてしまうんですよね。カッコならまだしも、シングルクォートとダブルクォートが混在するようなコードを書くときは本当につらいので…
そういうことを見つめ直せたのでよかったです。

かなりすごい発表(かなり) / @supermomonga

この唯一無二の芸風である。

/-improved / @haya14busa

gifによる操作説明が超わかりやすい。(ああいうのどうやって作るのかな)
incsearch.vimは、今回の発表で一番気になったプラグインでした。入れよう。


Vimコミュニティに見たスモールワールド性

私は今回はじめてVimConf(およびVimConfに連なるこれまでの勉強会)に参加しましたが、TwitterLingrを見ると参加者の全体的な満足度がとても高いように感じました。
「過去最高だった」「感極まってきた」「便利」との感想が飛び交っています。(Lingrに生息している一部の人は日常的に発している言葉ですが。)
懇親会も、私が見た限りではどのテーブルもかなり活発に会話が行われているように見受けられました。50人超の勉強会でこういう状態は、結構すごいことなのではないでしょうか。

というのも、過去に自分が参加した同規模の勉強会を振り返ると、発表を聞いてそのまま誰とも話さず解散となったり、懇親会で周りも自分と同じくらいの初心者ばかりで、時たま気まずい時間が流れてしまう、などを経験したことがあったからです。

Vimコミュニティに長年関わっているujihisa(@ujm)さんは、今回の感想記事で以下のようなことを書いています。

日本のVimコミュニティは今年をもって別の段階に進化したといえるでしょう。集中と継続。大きく分断されることなく、かつ、独裁ではない。持続可能な有機的コミュニティができています。この事実は、目に見えるものではないものの、ものすごく偉大なことではないでしょうか。

https://gist.github.com/ujihisa/1e8925470d01794a002c

私はこれを読んで、大学時代に少し勉強したスモールワールドのことを思い出しました。

スモールワールド

スモールワールドは「友達の友達の友達の…」と辿っていくと6〜7ステップで全世界の人に辿り着ける、という「7つの隔たり」の話に象徴されるような、現実の人間関係をモデル化した複雑ネットワークという分野の言葉です。

詳しくは各自ググっていただきたいと思いますが、ざっくり言うと複雑ネットワークではグラフ理論のノードを人間、エッジを知りあい関係で表します。

以下に、かなり極端な例を出してみます。


例えば上のようなグラフの場合、中心の3人にエッジが集中しています。これは勉強会でいうなら、講演会に近いようなタイプが連想されます。真ん中の3人は発表者であったり、主催者であったりといった存在です。
このような構造の場合、エッジが集中している人間にかなり依存した状態になります。ここで、例えば一番エッジをたくさん持っているノードを消してみましょう。


すると、左側の多くのノードが非連結な状態となってしまいました。特定の人間に関係が集中したグループの場合、中心人物が関係できなくなると、グループとして存続することが危うい状態となります。
例えば勉強会を立ち上げたけれど、発表者の募集、会場準備、次回の計画をたてる…などなど、会を催す上での諸々に中心人物がコミットすることができなくなり、結果数回で消滅の憂き目を見る…このような勉強会は数多くあります。


では次に、同じノード数、エッジ数のもう1つのグラフを見てみましょう。

エッジを多く持つノードはありますが、最初のグラフほど極端な形ではありません。
このグラフについても、ノードを1つ消してみましょう。


やはり独立するノードが発生してしまいましたが、最初のグラフに比べればだいぶましな状態です。
このような関係性であれば、参加者に様々なタスクを任せたり、1人が急遽参加できなくなった場合でもコミュニティ自体は存続し続けられる可能性が高いです。


コミュニティが成長する際、最初のグラフからだんだんと2つ目のグラフに移行していくことが多いと思います。*1
上記の2種類のグラフは、構造の説明の為に同じノード数、エッジ数のものを例として出しましたが、実際はエッジ数は基本的に増えていきますから、例よりももっと網の目のような構造に至るでしょう。



先ほど書いたような、「ノードを1つ消したときにグラフ全体の関係性がどのように変化するか」は、グラフの平均距離を計算することで数値化することができます。
詳しくはこの辺を読んでみてください。


さて、ここでようやくVimConfの話に戻ります。

コミュニティと貢献

ujihisaさんの言う「持続可能な有機的コミュニティ」という言葉を、私は前述した複雑ネットワークの話として捉えました。
このような構造を作り上げるためには、黎明期の中心人物が継続して貢献することが必要になるでしょう。またイベントのみでなく、TwitterLingrを通した日常的な関わり合いであったり、Vim advent calendarなどに代表される精力的な記事の公開が大きく寄与しているのではないでしょうか。結果、明確な中心的人物というものがなく、その人がいない状態でもコミュニティとしては正常にイベントを作ることができる。また、このような構造は新たなノードを取り込むという意味でも有利なように思います。


私は、今回のVimConfの参加者の中でもVimの使い方が極めてライトです。Vimは日常的に使ってはいるけれども、vimrcを編集する頻度も少ないし、プラグインを導入することもそんなにありません。Vim scriptも全然書けません。それでもLingrに毎日いたら仲良くしてくれる方がたくさんいて、それだけで既にいろんな恩恵を受けていると感じます。
もっと即物的には、数ヶ月前に出版されたVim script本をthincaさんから頂いたので、そのレビュー記事とか、プラグインを作るとか…とにかくいろいろと、contributionしていきたいなあということは考えています。

まとめ


*1:別の移行パターンとして、中心人物同士のみで強固なクラスタが構成され、他のノードがそれぞれ孤立した状態になる、という状態もあるかと思います。すなわち新参の拒絶です。この場合はコミュニティのノード数がなかなか増えないという問題に陥ることが考えられます。

PuTTY設定覚書

WindowsからPuTTYを使ってCentOSにログインし、ログイン先ではtmuxを使用している。
主に使用しているエディタはvim
tmuxはtmux.conf、vimはvimrcをgithubにあげているからよいのだけど、PuTTYの設定を書くとこがなくて怖いです、ということでここに書く。

環境

OS(Client) Windows 7
Client PuTTY (Release 0.60-JP_Y-2007-08-06)
OS(Server) CentOS 6.5

PuTTY

端末 > 高度な設定 > Alternate 端末画面への切り替えを無効にする true
ウィンドウ > 外観 > フォント Inconsolata, 12-point
接続 > データ > 端末の詳細 > 端末タイプを表す文字列 putty-256color

あ、あれ?こんなに書くことなかったか・・・

aomoriringo/dotfiles · GitHub

momonga.vim #5

巨体と独特の体系が特徴の海水魚氏から「レポート記事はいつだ」と圧力をかけられまして、とりあえず脳内ストリームを起動してdumpしたやつを貼り付ければいいんじゃないの、というわけで書いています。

普段私は別段Vim Scriptを書くわけではなく、vimrcの編集に熱心なわけでもありません。仕事柄、まっさらな環境で作業することもあるため、あまり凝った構成にするといらいらが増すような気がしており、あまり増やしたくないなあと思っているわけです。
しかしVimの標準機能もまだまだ知らないわけで、momonga.vimでは日頃Vimを使っていて「これがこうなったらなあ」と思っている少し不満な部分、些細な部分を調べ、vimrcを編集し、コマンドに慣れるという作業を本腰をいれてやる、という行動パターンです。


さて、今回の調べたい・直したいのは主に以下の2点でした。

  • テキストオブジェクトって何
  • 日本語入力もうちょっとなんとかならんの

というわけで前半でこの2つをあーだこーだしました。

テキストオブジェクト

調べる前はもっと仰々しいものを想像してたのですが、要は「いろんなキーバインドで範囲指定が楽にできますよ」「オペレータとかと組み合わせてエディットが便利」ということらしい。

テキストオブジェクトやオペレータの拡張プラグインもいろいろあるようなので、おすすめされるままにいれたりしました。あれ、でもいれただけで全然試してない。
この辺でテキストオブジェクトふ~んという気持ちが増大しており、次に進むことにしました。

日本語入力

この時ちょうど仕事で日本語の文章をたくさん書く必要があったのですが、まあめんどいんですよね。
挿入モードで日本語入力にしておくと、ESCと[半角/全角]を両方押さないとその後のカーソル操作ができません。これがもっと快適になればなあという思いで調べ始めたのですが、正直あんまりいい解決方法が見つからなかったです。
挙句の果てには世界最大の硬骨魚氏覚えてないのですが、誰かに「私は日本語の文章書く時Vimは使いません」とか言われてしまって、

(・o・)

みたいな顔になりました。少なくとも心の中で。
というわけでこれも割とどうでもよくなりやめました。

[訂正]
学名Mola mola氏は普段日本語のテキストもVimで書いており、上のようなことを言った覚えは無いということでした。謹んでお詫び申し上げます。

Clojureの設定

用意していたタスクがいい感じに萎んだのでじゃあ何するかということで、最近Lingrでujm氏がClojureを進めているので、「ああ、S式系の言語をまたやってみたいもんだなあ」と考えて環境をいっちょ作ってみましょうか、という気持ちになりました。
ちなみにS式系言語の経験はCommon Lisp(Land of Lisp)とMathematicaです。MathematicaLispに分厚い皮をかぶせたものだと思っている。(超語弊あり)

ところがここでネットワークという壁が私に立ちふさがります。普段私はWiMAXとか持っていなくて、いつも他人の無線LAN環境におんぶにだっこなのです。momonga.vimでは毎回滑空によって飛翔する性質を持つリスの仲間氏の無線にタダ乗りさせてもらっており、みんなそこに接続するので速度とかお察しレベルです。そりゃしょうがないわけです。
それで、yum install hogeとかやると「100個ぐらいインストールするものあるわー^^」とか言いやがるわけで、みなさんの貴重な無線帯域を圧迫し、かつ自分は何もできないという状況の完成です。やりました。
勉強会にきて環境構築などやってはいけません。環境構築というのはこの世で一番つらい作業であり、忌避したいです。時間泥棒です。一回こっきりの作業であることも多く、問題解決は面倒で、環境が違った場合知識の敷衍が難しくてほんと嫌いです。

そんなこんなで全体的なやる気は減衰減退、でもClojureはやりたいので4ClojureというサイトでClojureの問題を20問ぐらい解きました。
そんな感じです。

まとめ

この勉強会は人間が少ない。

記録

やはりツイッテレーというものはstreamであり、日々の記録を書いてあとから読み返すというのには向かないなあというわけで、日記を書こうという気持ちに、たまにはなるわけです。
それは他の人のブログでよい日記を見た時に衝動的に沸き起こるもので、まあすぐしぼむんですけども。
はてなだって「はてなダイアリー」という名前で、「diary」と付いているんだから本来日記を書くべきサービスでありどんどん書いていこう、という気持ちになっていたらこれは「はてなブログ」だったのでAhが発生しましたが、まあそれはどうでもいいです。

逆柱いみり「赤タイツ男」読んだ

赤タイツ男

赤タイツ男

これは秋葉原まんだらけにふらっといったら、入店1分で発見し、「出会いだ」と思って購入しました。1800円でした。
解説の冒頭から「困った。内容がない。」と書かれてしまうぐらいストーリーとしては謎で、他の人にどう薦めていいかこれほど困る作品もないでしょう。私は常日頃少年ジャンプの漫画しか知らないような人間が「趣味:漫画」と発言することに対して「けっ」みたいな気持ちを持っていますが、逆柱いみりをこういう人たちに見せたら理解を得られないだろうな、というのはさすがにわかります。逆に理解を得られそうなのはアフタヌーンからコミックビームの半分ぐらいかなとか勝手に思っています。
それで、中を困るなりにざっくり言うと、つげ義春にもっとサイケデリック成分を注入した感じです。つげ義春の作品は日本の情景が強く想起される(と思っている)のですが、逆柱いみりになるとどの国かわからない情景、何人かわからない人間、そして何より謎クリーチャーです。この辺、「異国情緒」という一単語で終わらせたくなかったのでなんとなく長めに書いてみましたが、まあそんなところです。謎世界の情景の大ゴマ見開きに何事かを感じられる人であれば、購入して完全に無駄な買い物だったということにはならないはずです。

筒井康隆「玄笑地帯」読んだ

玄笑地帯 (新潮文庫)

玄笑地帯 (新潮文庫)

これはもう絶版なやつで、ブックオフをふらっと歩いていたらありました。ブックオフの100円コーナーには筒井康隆のもうあまり売ってない本が山と置かれていたりするので、嬉々として買うことになる私です。
筒井康隆全集(全24巻)の月報をまとめたやつで、日記とかエッセイとかそういうのに近いです。「突発性大量創作症候群」が白眉で、著者が「虚航船団」を書き終えた直後に短編のアイディアが止まらず、ほとんど寝ずに1週間で240枚ぐらい書いてしまうという話です。それ自体が爽快なのでまず楽しく、それ以上に「虚航船団」が1日に約1枚~1枚半しか書けなかったというのに驚きました。まあ2章あたりはそれもわかりますが、3章の半音ずつ上がりながら物語が加速度的にぶっ壊れていく部分、あのあたりは一気呵成に読んでしまうため錯覚してしまうのですが、やはり苦しんで書かれていた。
小説を読む時、どうにも錯覚してしまうのですが、小説というのはストリーム的に脳内から文章が溢れでて、それがそのまま出版されるわけでもないのですよね。でも展開が自然で面白い小説を読んでいると、「すごいなあ、この人天才だなあ、この表現すげぇなあ」とか思っているわけですが、それはやはり苦しみや葛藤の末に生まれ出たものなのです。いや、そうじゃない場合もあるかもしれませんが。そういう感覚は筒井康隆をはじめ、太宰治安部公房を読んだ時によく感じた感覚です。
あれっ、これは玄笑地帯の感想なんでしょうか。しかし最近感想文を書くということで気づいた点は、ストーリーを解説するとか読者を意識しない方が、文章がすらすらでてくるということです。だって別に読者に対して奉仕する気持ちなんかないし、筒井康隆が別のエッセイで「書きたいものを書け」と言っているように、小説を読んだ上で自分の中に想起されたものをそのまま書いて、脱線し続けて行く方が案外おもしろいものになるようです。あ、これもすごく適当に書き進めているのでてにをはがおかしいかもしれませんね。
というわけで、脱線お許し下さい。

筒井康隆「パプリカ」読んだ

パプリカ (新潮文庫)

パプリカ (新潮文庫)

また筒井康隆かよとか言わないように。ハマってるんだからそうなりますよ。
これは映画化もされたやつなので、筒井作品の中でも一般によく知られている部類かと思います。内容は夢の話で、夢分析とかやってる研究所の天才のデブが、他人同士の夢を繋げられる装置を作ってしまって、あとは筒井作品のどんちゃん騒ぎが起きます。ただ、短編にあるようなギャグを広げていくというよりはもっと硬質な語り口で、そういう意味では真面目な部類であるように感じました。
印象は実はあんまり残っていなくて、というのも小説を読み終わった直後に今敏の映画「パプリカ」を見て、その印象に完全に上書きされてしまったからです。さようなら能勢さん。(映画に出てこないので)

パプリカ観た

パプリカ [DVD]

パプリカ [DVD]

というわけで映画のパプリカです。
これはとにかく所長が狂うとこが大好きで、その部分だけはYouTubeだけで見て知っていましたが、まさか開始5分ぐらいでいきなり狂うとは思いませんでした。狂う時のセリフがすごくいいですね。

うん。必ずしも泥棒が悪いとはお地蔵様も言わなかった。
パプリカのビキニより、DCミニの回収に漕ぎ出すことが幸せの秩序です。五人官女だってです!
カエルたちの笛や太鼓に合わせて回収中の不燃ゴミが吹き出してくる様は圧巻で、まるでコンピューター・グラフィックスなんだ、それが!
総天然色の青春グラフィティや一億総プチブルを私が許さないことくらいオセアニアじゃあ常識なんだよ!

今こそ、青空に向かって凱旋だ!
絢爛たる紙吹雪は鳥居をくぐり、周波数を同じくするポストと冷蔵庫は先鋒をつかさどれ!
賞味期限を気にする無頼の輩は花電車の進む道にさながらシミとなってはばかることはない!
思い知るがいい!三角定規たちの肝臓を!
さぁ!この祭典こそ内なる小学3年生が決めた遙かなる望遠カメラ!

進め!集まれ!
私こそが!
お代官様!げははははははは

すぐだ!
すぐにもだ!                     
わたしを迎エいれるノだ!!

この文章は筒井康隆ではなく今敏オリジナル。

あと映像として印象に残っているのは、パプリカの皮が剥がれて千葉敦子が出てくるというシーンです。まあここだけじゃなくて、単純に筒井康隆の狂気のお祭り騒ぎ、夢と現実の揺蕩う感じがあそこまで映像になるのがすごいなあと思いますね。しかしそこはやはり今敏で、何から何まで変わっていて、まあすごいけど今敏はやっぱり生理的にはそんなに好みじゃないな、とも思いました。

登る、振り返る

ふと思い立ってたまには日記を書いてみようと思った。
しかしいきなりだが「日記」とはなんだろう。年に1,2回しか書かれない、継続的に書かれていないものを日記として良いのだろうか。しかしもし「年記」とか「期記」とした場合、その間の事柄を振り返って書かなければいけないではないか。そんなエネルギーが必要そうなことは今したくないし、恐らく努めて毎日書くことになったときと比べて内容・分量は対して変わらないのでやはり日記である。


なぜ急に書き始めたかというと、今読んでいる筒井康隆「日日不穏」という日記を文庫本にしたものがえらく面白いからである。先日ブックオフの100円棚に恐らく既に絶版になってしまった筒井康隆本がいくつも置いてあり、全部買ってほくほく顔で帰って来たのだ。本来ならば書店で定価で買わなければいけないと思うのだが、絶版であるからして致し方ない、致し方ない。
作家の日記を読むと口調が移り、また文章の運びのリズムがわかるので自分でも何か書いてみたいという気持ちにさせるのだけど、あいにく私のような平々凡々とした人間は著名人のようなコンテンツ性を持ち合わせていない。別に日常生活でポンポンと普通の人が知っていそうな人が出てきてお話をした、などということもない。作家の日記が面白いのは、日記の中にその作家が出版した本の執筆状況だとか、世間的によく知られている有名人と対談しただとか、読む側が知っている情報が出てくるからこそ面白く読めるのだと思う。いや、もちろん文章力が根底にあることはもちろんであるけれど。
そういうわけで、この文章は筒井康隆の日記に触発されて生み出されたものであるけれども、口調はごくごく薄いshallow copyであり、校正も全くしていないのでどうしようもない代物である。


いい加減自分のことを書こう。
先月とある団体でシリコンバレーにいかせてもらって、有名ベンチャーの方と話をさせてもらうという機会があって滅法楽しかったのだけど、帰ってきてレポートを書くのにえらく難儀した。シリコンバレーに行ってきた、などというレポート記事は巷に溢れているだろうし、変に考察を加えると余計なことまで書いてしまいかねない。たしかにシリコンバレーに行きはしたが、たかだか4日ほど滞在しただけなのだ。シリコンバレーはたくさんの人間が住む実際の土地であり、秘境でも何でもない。未開の地に訪れた探検家であれば考察含めどんどん書けばいいと思うが、シリコンバレー初心者が変に浅い考えを露呈させて斧を投げつけられるのは考えただけで面倒だ。
上記のような葛藤があったあげく、自分が知る限りの日本での環境とシリコンバレーで聞いた環境の違いにフォーカスし、素直に感じたことを書いておいた。どこから怒られるかとびくびくしながら公開したが、今のところdis方面の感想はほとんど聞こえてこない。単純に読まれていないだけである。
「自分が知る限りの日本での環境」というのは、自分ではかなり危うく感じている部分である。ブログ記事やTwitterなどで炎上する原因の1つに「主語の拡大」というのがある。「自分が」という書き出しであれば個人の感想に留まるところであるのに、「我々は」とか主語の指す範囲が大きくなると、そうではない意見の人たちとしては反論せざるを得ないという状況になってしまう。個人の人間が交流する範囲などたかが知れていて、そこで生み出される常識はもっと広く見れば恐らく偏見なのだろう。しかしこの点にまで悩んでいたのではいつまで経ってもレポートが書けない、というわけである程度無視して公開した。気にしすぎか?つくづく文筆業に身を置いていなくてよかったと思う。
たぶん私のTwitterなど掘っていけばシリコンバレーの記事が見つかるので、暇な人はどうぞ探してみてください。


上記のシリコンバレーの記事にしても、自分で書いたプログラムにしてもそうなのだけど、自分で書いたもの、作ったものをよく見返してしまう。自分で書いたのだからもちろん見返さなくても全部わかっているのについやってしまって、その度にもしかして自分は悦に入っているのかな、と考えて恥ずかしくなる。登山で言えば歩いてきた道程を振り返って「いやあずいぶん遠くまで来たなあ」と行ってばかりでちっとも前に進まないダメ人間である。だからこそ締切というものがこの世には存在していて、背中を押されることでやっとこさ頂上に登ることができる。しかし押されれば押されたで今度はその押され方に不満を抱くようになってしまい、なんとも勝手なもんである。
適度に押されつつ、適度に振り返りつつ、平和に生きていきたいものだなあと思った。

日日不穏 (中公文庫)

日日不穏 (中公文庫)